平松智さん(2期)
平松さんは現在、ソフトウェア関係の仕事をしています。IT革命の先駆者としてさまざさなお話を伺いました。



 
平松智(ひらまつ さとし)   

・1969生まれ
・現在、電子機器のOS開発を主に担当   

−仕事の内容がわかりにくいのですが、文系の人にもわかるように説明していただけますか?

わかりやすい例で言えば、最近、メモリースティックが使えるウオークマンが発売されました。音をカセットテープやMDの代わりに、メモリースティックに蓄えるわけですけれども、そのウオークマンの電子回路とメモリースティックとの間のデータのやりとりを制御するソフトを開発しています。

−平松さんの入学した頃は新設校で、なにもかも手探りでしたよね。

そうですね。入学した頃は体育館もまだできていなくて・・・。でも、新設校だから自分たちが学校を作っていける」ということに憧れて入学したような、元気のいい人、きちんと自己主張できる人が多かったように思います。部活やイベントでも積極的にリーダーになったり。僕もクラスメイトにはかなり刺激を受けましたね。その刺激がいまの自分を作っているといっても過言ではありません。でも、入学したときの「東大に20人合格させる」とか「1日3時間勉強しろ」とか、そういう指導には無理があったんじゃないかと(笑)。高校時代は、ガリ勉よりも友だち作りや自分がどう物事を考えるかを学ぶ時間なのではないでしょうか。それに文化祭でも商売禁止だったし(笑)。

−あなた自身の高校生活の思い出は?

部活もいくつも掛け持ちしてたし、勉強もしてなかったなあ・・・。勉強も部活もテキトーにやっていた典型的な都立高生でした(笑)。ただ、3年生の数学の選択授業が三保先生の担当で、大学のゼミのような雰囲気がありました。当時、ベテランの先生が多かった中で、20代の先生は親しみやすかったですしね。卒業後も、その授業を取っていた生徒仲間で先生の家で麻雀をしたりしています。今でも時々集まっていますよ。

−そういえば大学院に行く人も、今と比べれば珍しかったですよね。

理系は研究がないと始まらないから、そのためには大学院に行かないとと思って進学しました。高校時代は遊びも大事だけど、"大学に行ってまで遊ぶ人は何か勘違いしている"と思いますよ。時間とお金がもったいない。それに勉強したい人に迷惑でしょう。特に、理系は大学や大学院で何をやってきたかで評価が決まりますからね。もうひとつ、自分は失敗しちゃったんですが、在校生には「大学は名前で選ぶな、教授で選べ!」と声を大にして言っておきたいです。

−技術者になるなら大学院に行かないとダメですか?

工業高校出身の人もいますけど、普通科高校から理系に行った人より知識やセンスは工業高校出身の人の方が優れているのではないでしょうか。ただ、今の時代はどうしても英語力がないとダメ。自分のことは思いっきり上の方の棚に上げておきますが(笑)。特に技術系は、海外との取引や技術協力のない会社など考えられません。僕は文系より理系の方が、切実な問題として英語が必要だと思うんですよ。本当に僕ももっと英語をやっておけばよかったと思っています。

−高校当時は、コンピュータもまだ一般家庭への普及が始まったばかりでしたが、その道に進んだのは先見の明があったのではないですか?

わたしもここまで普及するとは思いませんでしたよ。コマンドを打ち込んだりしないと使えなかったし、通信速度も今の20分の1ですからね。それでも遅いからとADSLがでてきて、更に20倍の速度になったりしてますし。これからまだまだ進歩していくのではないでしょうか。家庭では、インターネットと家電が融合するというところに行き着くと思いますよ。

−コンピュータ関係は忙しいという印象がありますが、休みは取れますか?

土曜日は時々出たりしますけど、フレックスタイム制なので帰りが遅くなったときは調整しますし、それほどストレスは感じません。休みの日は、会社の同僚とキャンプやバーベキューをしたり、アウトドア系の過ごし方をしています。機械相手だから自然の中で休みの日にリフレッシュするといいですね。

−これからの夢や目標があれば教えてください。

うーん。姿勢としては野党的というか、必要な場面ではとことん会社や上司に逆らっていこうと思っています。もちろん、単なる反抗ではみんなの足を引っ張るだけですから、説得力のある抵抗をしたいですね。オリジナリティーを出すことがこれからの自分の役割だと考えています。

−ありがとうございました。