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宮島  伸夫 先生
  (みやじま のぶお)

1984年4月 田無高校ご着任
1996年3月 都立農芸高校へ
ご転任。
現在に至る。

今回は、保健体育科の宮島伸夫先生に、柔道部の思い出についてご寄稿頂きました。

 

−田無高校の12年−
 

田無高校には、昭和59年4月から平成8年3月まで、12年間お世話になりました。現在都立農芸高校に勤務しています。以来、20年、時の流れの速さに驚いています。

 私が赴任したときには、開設2年目で学年も2年生までしかなく、生徒も先生も一人一人が田無高校を良くしていきたいと頑張っているときでした。その間、3期・9期・13期生の担任をいたしました。担任をした期はもちろんですが、その他の期においてもそれぞれの懐かしい出来事が思い出されます。


 今回は、部活動の思い出をとの依頼がありましたので、顧問をさせていただいた柔道部について思い出を述べさせていただきます。

 私は、開設2年目に赴任いたしましたが、柔道部はまだ創部されていませんでした。前任校でも柔道部の顧問をしていましたので、早速柔道部をつくりました。部員を募ったところ、1年生(2期生)が10名前後集まってくれました。

当初1年生だけで活動していましたが、しばらくして2年生(1期生)が4人入部しました。本格的に田無高校柔道部の活動が始まりました。初心者が多かったので、毎日受け身ばかりでした。

部活動は上下関係が命です。挨拶や言葉遣いを徹底させました。上級生に威厳を持たせながら下級生に対する心配りを教えました。年々力を付けていくのが解りました。

1期生・2期生・3期生の部員は、部草創期のメンバーとしてあらゆる面で全員が一生懸命取り組みました。当時は、支部全体が強く、都立高校がどんなに努力してもなかなか結果はでませんでした。

 山本三四郎先生が、講師として着任し、コーチとして指導をお願いするようになってからは、みるみる強くなりました。


やがて、中学校時代から本格的に柔道をやってきた部員が入部してきました。実力はかなり強く、やがて他部員の目標になりました。いつか、彼らを投げ飛ばすんだという一心からどんなに辛い練習にも励みました。

顧問の私から見ても練習量は、他の都立高校には絶対負けないという自信がありました。支部大会においてもベスト8に入る強豪校になりました。強くなると現金なもので、今まで振り向いてもくれなかった強豪チームが、練習試合を申し込んでくるようになりました。

ますます強くなり、ついには、支部でナンバー1であった明大中野高校と2回も準決勝で戦うことができました。そのうちの一つは敗れはしたものの、2勝3敗(5人戦)の大接戦で、会場が大騒ぎになったことを覚えています。この時代、女子も強く、東京都で2年連続ベスト16に入りました。

さらに11期生の利根川はつみさんが、全国高校柔道選手権大会に2年連続出場を果たしました。身体能力は並はずれたものを持っていましたが、高校から始めた柔道で全国大会出場は言葉では言い表せないくらい素晴しいものでした。

12年間素晴らしい部員に恵まれましたが、さらに素晴らしいコーチにも恵まれました。佐野先生・伊豫田先生・山本先生には心より御礼申し上げます。

 その後私は、転勤いたしましたが、現在の顧問である福家先生が、田無高校柔道部の伝統を立派に引き継いでくださっていることに深く感謝申し上げます。