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北畑 薫 先生

担当教科:国語(専門:近代詩)
1994(平成6)年〜
現在6年目
趣味:演劇鑑賞
現在は子育てに追われる毎日とか。

――まず、現在の田無高校の印象を教えてください。

「明るくて素直な良い子が多い一方で、以前より金髪、銀髪、化粧をする生徒も増えてきました。昔よりも子供っぽい生徒が増えてきたようにも思います。まだまだ校舎もきれいですし、部活動も盛んです。」

――では、先生の高校時代はどうだったのですか。

「私は都立高校の出身なんですが、周りの雰囲気に流されてどうも受験勉強に明け暮れていたように思います。今の生徒を見ていると、選べる進路もさまざまで人とは違う道を見つけていて、その分個性的ですね。」

――高校時代にはESSに所属していた先生は、都内のホテルなど、外国人がいそうなところで、突撃インタビューをしたそうで、大学も英文科志望だったのですが・・・。

「いざ進学してみると、自分のやりたいことが日本文学だということに気付き、国文の道に入りました。今から思えば、初めて自分の進路を決めたのかもしれません。」

――その後、一度就職するも、疑問を感じてもう一度大学院へ。ちなみに研究対象は、詩人の立原道造でした。そして、26歳の時に教師になりました。

「教師を選んだ理由は、自分の個性を出せる仕事だと思ったから。また、自由や、自主性を重んじる雰囲気にひかれたから公立の教師になったんです。生徒にもよく言うんですが、人生の道というのは、色々選べるということ。いつでも修正できるんだから、立ち止まらないで夢に一歩一歩近づいていけば良いんです。とにかく前進すべきだと。」

――田無高校が二校目という先生は、最初に赴任した高校で10年間勤めたが、まず、カルチャーショックを受けたそうです。生徒と信頼関係を築くために、全力でぶつかった10年間で得たものは、人間との関わりあいの大切さ。そうおっしゃる先生の教師としての信念は・・・

「人と人とのつながりを大切にしたい、ということです。教師と生徒の関係であっても、年齢の差があっても、対人間の気持ちを忘れないようにしています。」

――そんな先生にとって、前任校で得た経験を田無高校でどう生かすのかが今後の課題だそうです。

「いつまでたっても教師は勉強。授業だって同じ事をやっているように見えるかもしれないけど、生徒が違えば、授業でやる内容や、やり方だって違ってくるんですよ。」

――どういう風に工夫されているんですか。

「とても難しいことだけど、置いてけぼりになる子は作りたくない。皆が納得でき、分かり合える授業を作りたいと思ってます。」

――では、先生が担当されている授業で、これだけは覚えておいて欲しいことは何ですか。

「たとえば現代文は、どうしても本文読解や、段落分け、筆者の意見を読み取ることに終始しがちですが、私は、作品を通して自分がどのように生きていくか考えて欲しいんです。その作品を読むことで、それが自分にとってどうなのか、人生にどう影響するかを考える教科だと思っています。それから3年生には、今まで漠然とやってきた日本語の美しさ、楽しさ、を再確認してもらいたいので、触れるようにしているのですが、たとえば、季節の言葉、立春とか、節分とか、これから日本人としてやっていくために覚えておいて欲しいです。」

――最後に卒業生へ一言お願いします。

「学校では、出し惜しみしていた人もいるかもしれませんが自分の持てる力を信じ、個性を十分に発揮してパワー全開で活躍して欲しいと思います。」

――どうもありがとうございました。

<取材>高橋 岳朗(10期)